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こんにちわ!e-ハウス一級建築士事務所の荻野晃です。 当社ホームページをご覧頂きありがとうございます。 私の住宅建築とのかかわりを、自己紹介を兼ねてお話します。 私は、大学は出ていませんが、知識を仕事に役立てる為にいろいろな資格を 取りました。
1級建築士はもちろん、技術系の資格で、 1級建築施工管理技士、 1級土木施工管理技士、 1級造園施工管理技士、 宅地建物取引主任者、 浄化槽設備士など取得し、 これら技術的知識を 家づくりに生かしています。
私は、建築板金屋の2人兄妹の長男です。 建築板金の仕事は、家の屋根に雨樋をかけたり、庇や屋根を鉄板で葺いたり、 主に、家に雨が入ってこないようにする隠れた重要な仕事です。 私の両親は、私たち兄妹を養うために、朝早くから夜10時・11時の深夜まで 残業し一生懸命働いていました。
当然、幼いときに「どこかに遊びに連れて行ってもらった。」 という記憶はあまりありません。 しかし、両親は、よく建築の現場に連れて行ってくれました。 小さいころから、手伝いでよく屋根に上っていました。 普通の子どもが経験しないような屋根の上からの景色を見ていました。 町なかの工事現場は、車が多く道路も整備が進んでいなかった時代なので、 遊ぶところが少なく退屈でした。田舎の現場では、 自然が残っていて 田んぼや小川でメダカやフナ、トンボ、イモリをつかまえて遊びました。
また、寒い日に、木材を焚火にくべながら職人さんたちに交じり、 火にあたっていたことが思い出として残っています。 大工さんが仕事にとりかかる前に鋸(のこぎり)の目立てをしたり、 鉋(かんな)・鑿(のみ)の刃を砥石でとぐ姿を思い出します。 また、左官さんが外壁のモルタルを練るときには 丁寧に砂をふるいに掛ける姿や、 土壁を作る前に赤土にわらを混ぜ練っている姿など、 古きよき時代の家づくりが記憶に残っています。
しかし、反抗期の中学・高校時代は建築現場に手伝いでいくことはなくなりました。 そのころは、電子工作にはまっていて真空管ラジオやステレオアンプなど作って 将来は電気の道に進むつもりでいました。 進路を決めなければならない高校3年のとき、 悩んでいる私の心に突き刺さる父親の言葉がありました。
「仕事でお金を稼ぐのは 食っていく為だけじゃない。 俺の仕事にお金を払ってくれた お施主さんが満足し、 喜んでくれなければ意味がない。」
どういうきっかけで、父親がこう言ったのかよく覚えていません。 板金屋の仕事は、大工さんや左官さんように 誰でも知っているような職種ではありません。 それでも自分の仕事に誇りを持って頑張っている両親の姿に感動し、 私も建築の道に進もうと決心しました。
建築の専門学校を卒業後、 大型団地を造成している会社に就職しました。 そこの建築部門に配属となり、木造在来工法の住宅を下請けの工務店任せ(丸投げ) ではなく、直接職人を使って年間60棟ほど家づくりをしていました。 就職した年に「2級建築士」を取得しましたが、設計など事務的仕事は一切 させてもらえず、5年間、毎日、丸太や鋼管足場の組立・解体や、ゴミの片付け、 基礎工事などの作業を人夫さんと一緒にやっていました。 真夏日に、熱射病で一人暮らしの寮で気を失って気付いたら深夜になっていた こともあります。
6年目ぐらいからは、積算や見積もりを やっとさせてもらえるようになり、 ここで現場での経験が本当に役にたちました。 現場から出発できたことを今ではとても 感謝しています。
建築の業界はクレーム産業とよく言われます。 お客様からのクレームをいかに誠実に対応するかが会社の信用につながります。 勤めていた会社では、建築した住宅棟数が多いこともあり、 いろいろな手直し依頼やクレームがありました。 クレームで一番多かったのは、雨漏り、次に多かったのは台所やお風呂のタイルの 割れや剥がれでした。引渡し後のクレームは悩みの種でしたが、 工法や使う材料に改良を加え、これらのクレームはなくなりました。 不況の影響で住宅の新築工事の受注件数が減り始めました。 会社では、住宅リフォームに力を入れることになり、リフォーム部門の担当に 回されました。 当然、ノルマがかけられ『飛込み訪問営業』をやるように指示を受けました。 でもどうしても『技術屋』である私は、訪問営業を受け入れることができませんでした。
私には建築の知識があるので、住宅を見て問題点を指摘することは たやすいことです。しかし、新聞沙汰になった白蟻駆除工事や太陽熱温水器、 外壁塗装業者などのお客様をだますような強引な営業の問題が思い起こされ、 私はどうしても訪問営業ができませんでした。 もっと他の方法で、お客様に納得していていただきながらできる 営業方法を模索していました。
しかし、会社にはそのことを認めてもらえず、「会社に残るかどうするか?」 という話に発展しました。 そのとき自営業でがんばっていた両親の背中を追って、独立しようと決めました。 当時、私には、小学校に入学したばかりの娘と1歳を超えた息子がいました。 その幼い寝顔を見たとき、会社を退職することを本当に迷いました。 しかし、私の決意に反対の言葉をなにも言わず、 私についてきてくれる妻の姿を見てフンギリがつきました。
無事、会社を円満に退職し、『合資会社e-ハウス』を設立して独立を果たしました。 本当に妻に感謝しています。 勢いで独立したようなところがあり、用意をほとんどしていなかったので、 どのように営業をやって、仕事を増やしていくか悩みました。 なかなか毎月の収入が安定しないので、『サラリーマンで毎月給料を貰うほうが よかった。』とグチをこぼすときもありました。
ある日、チラシをポストに投函しているとき呼び止められ、 「お前はなんだ、郵便屋か、関係なければそんなもの入れるな! 持って帰れ!二度と入れるな」と叱責されたこともありました。 悔しくて涙が出そうでした。 逆に、「よう頑張りよるな。」と声をかけていただくこともありました。 有難くうれしく感じたこともありましたが、思うように受注が伸びず、 辛く悲しくなり全てを投げ出して、また、サラリーマンに戻ろうかと何度も思いました。 よく考えてみたら、当然かも知れません。 実績が少なく正体がよく分からない相手に、自分の家のことを相談し、 工事をしてお金を払うには抵抗があると思います。私でもなかなか依頼できません。 「まじめに丁寧に仕事をすればわかってもらえる」と思っていましたが、 現実は想像よりももっと厳しいものです。考えが甘かったと反省しています。 しかし、
最近では、いろいろな人に支えられ 仕事の依頼が増えてきました。 私は、建築の仕事が大好きです。 お客様と打ち合わせをし、 それをもとに設計図を起こし、現場管理をし、 お客様の夢が形になって 喜んでおられるその顔を見るのが大好きです。
以前、新築祝いの席上で、お施主さんが私のところにきて、 『あんたに頼んで本当によかった。みんながいい家だと言ってくれる。ありがとう。』と
30歳近く年の離れた私に対し 涙を流しながら言ってくれて、 握手を求められたときは めちゃくちゃ感動しました。
日本では木造住宅は、20〜30年しかもたないといって住宅の建替え工事をします。 その方が、住宅メーカーは新築の大型工事が受注できるからです。 30歳代の方が住宅を建てて、ローン35年で組んで返済が終わったときに、 建て直すことができるでしょうか。 大型リフォームすることができるでしょうか。 私のお客様では、収入が年金だけでリフォームにお金をかけることができず、 不安を感じながらやっと修理だけをされる方もいらっしゃいます。
私は、長年、木造住宅の新築工事にたずさわってきました。 家が壊され、使われていた木材が捨てられているのを見ているといたたまれない 思いがわきあがります。木材は、家の柱や梁など構造体に使われるようになるまでに、 50年近くかかります。 アメリカでは住宅(木造)の平均寿命は44年、 イギリスでは75年だそうです。 日本は26年だそうです。
住宅の建替えのサイクルが木の生長のサイクルより短いため、自然の森が どんどん無くなっています。少しでも長く、住宅の寿命を持たせることが 環境によい影響を与えることになります。私たちの子どもたちに、自然環境の豊かな 地球を残してあげることにもつながります。
お客さまの声を仕事に生かし、技術を積んでいくのは 私たちの役目です。 家造りには、構造・材質・材料・工法など さまざまな技術が必要です。 そして、建築基準法や公庫融資住宅の技術基準など 守らなければならない技術があります。 しかし、技術だけでは家づくりはできません。 別に、大切なことがあるのです。 家を造るのは人間です。 家に住むのも人間です。 ロボットが住むためのものではありません。 家は、家族の在り方・暮らし ・子供の教育・成長など、 その家族の一生の人生設計の場であり、 「人づくりの場」なのです。
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